孤独?
この文は2013年7月19日に書かれたもの
作者:吕建锋
今日は週末で、特に退屈だ。昆明は至る所が水浸しで、外出する気は全く起きない。一人でオフィスにいて、何もする気がしない。暇を持て余していると、「百年の孤独」という言葉がふと頭をよぎった。私は孤独なのだろうか?
タバコを手に、一晩中蟻を焼いているのは、退屈だ。やることがなく、一緒にいてくれる友人も見つからないのは、寂しさだ。では、孤独とは何か?
孤独は必ずしも寂しさを伴うわけではない。多くのパーティーの場で、大勢の友達ととても盛り上がっていても、それでも孤独を感じることがある。誰も自分の考えていることを知らず、硬い殻が友人たちの様々な提案に合わせることに慣れさせ、あなたはいつも殻の中に縮こまり、淡々とした目つきで、少しの不満を帯びて、静かに目の前の全てを見つめている。
納蘭性徳は名門の出身で、使用人や従者が大勢おり、富貴栄華を存分に享受していたが、彼が孤独だったことは私には分かる。孤独がもたらすあの骨を刺すような心の痛みだけが、紙面を憂いに満ちたものにし、私たちに優美で哀愁を帯びた納蘭詞を残したのだ。孤独な納蘭、その心の内を誰が知るだろう。三十一歳の時、一度の集まり、一度の酔い、一つの詩を詠み、三度の嘆息の末に病に倒れ、そのまま息を引き取った。
孤独とは、誰もあなたを理解してくれないことだ。納蘭のように、この世に三千の俗世があっても、一人の知己もいない。私は俗っぽい人間で、その境地には達していない。だから、私はただ寂しいだけなのだ。
食事に出かけ、そっとこの得体の知れない寂しさを払い落とし、俗世の中に溶け込んでいく。
7月19日、昆明で海を見る
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